地球の遊び方~海外風俗情報 タイの風俗から南米の置屋まで

読者の海外風俗体験記

第77回  ロシア、中国、キューバ、ケニアの風俗

はじめまして。あるいは,はじめてでない方もおられるかも知れない。

実は小生,某メールマガジン誌上で「世界の街を知っている!」というマガジ ンを発行していたが,ある良識ある読者のシステム管理者への苦情により,内容 が公序良俗に反するとの不当な判断を受けて,7号まで発行した時点で強制的に 廃刊を余儀なくされた。

確かに世界各国で体験した売春について触れた部分は多いが,小生としては売 春を通じてその国のあり方を描いたつもりである。しかし,売春情報としての 性格がないとはいえない。それが証拠に複数の読者からバンコクでの体験を書 いてくれというメールを頂戴した。

ここでは小生が発行したメールマガジンのなかから,読者に役にたちそうなも のを撰んで投稿した。

かた苦しい部分もあるが,単なる売春情報を書くつもりではなかったことを分 かって頂くためにも,発行時のままお送りする次第である。

◆ロシアの娼婦たち

ソ連と呼ばれていた時代のロシアは残念ながら知らない。 ソ連が崩壊してロシアとなったころからモスクワを訪れることが多くなった。 アエロフロートで東欧や中東諸国に行くときに,モスクワでストップオーバー をしたことで入国回数が増えていった。

共産国家・ソ連には売春婦はいないとされていた。したがって存在しない売春 婦を取り締まる法律,日本にある売春防止法のようなものはなかったという。 しかし実際は,外人相手のHard Currency Prostitutes(外貨売春婦)が,外人専用 のホテルに大勢いて,そのビジネスはマフィアが取り仕切っていた。

最初のロシア行は,モスクワとサンクト・ペテルブルグを訪れる旅だった。そ のときの経験がロシアの娼婦にのめり込む(?)きっかけとなった。

現在では外資系の高級ホテルがモスクワ市内に多くできてその地位は下がって いるが,コスモスホテルは当時,旧ソ連の国営旅行社・インツーリスト系のホ テルとして,外国からのツアーなども多く利用していた。

玄関前では外国観光客からのチップを期待して10人ほどの男たちがブラスバン ドでロシア民謡を演奏しているのが,部屋の窓から見えた。 要するに現在と違ってその頃このホテルは,はやっていたのである。

だから,外人客を目当てとする彼女たちと出会うこともできたのだろう。

以下は,私のロシア娼婦との最初の出会いの記録である。            

              ★                     ★ 

初夏のモスクワに夜の帳がやっと降りるころ,私の宿泊するコスモスホテルの 部屋にドアをノックする音が響いた。ボ-イがキャビアでも売りにきたのかと, 警戒しながらドアを少しだけ開けると,濃い化粧をした茶色い髪の女が笑顔を つくりながら立っていた。

 女は私の訝しげな表情を見てとり,「心配しなくてもいい。私とセックスし ないか」と英語で直截切り出した。女はホテルの外人客目当ての,いわゆるHard Currency Prostitute(外貨売春婦)だった。

 私の逡巡する態度に脈があると見たのか,女は部屋に入って話をしたいと続 けた。危険なことは起こらないだろうと判断した私は女を部屋へと通した。女 は部屋を奥へと進むと窓際のソファに腰を下ろした。私はベッドに腰掛けて女 と向き合った。

 女は胸の谷間を強調した派手なブラウスに,ミニスカ-トをきめていた。美 人だった。ロビ-やバーにたむろして秋波を送ってきた娼婦たちに失望してい た私は,日本で得ていた「ロシアの娼婦は美人」という情報が間違っていなか ったと思い直した。

 いくらかという私の問いに女は,知らないのかと前置きして110ドルと答え た。10ドルはフロア-にいるデジュ-ルナヤと呼ばれる鍵番の女のためだ,と 言い訳のように付け加えた。

 女は少し年齢がいっているように見えた。私は断る口実と期待を込めて「あ なたはビュ-ティフルだが,もっと若い娘を知っていたら紹介して欲しい」と いった。女はいくつくらいの女がいいのかと返した。

20前後がいいと応えると, 女は「惜しい。自分は27歳でまだ若い」というなり,ブラウスをはだけてすぐ 下にあるむきだしの乳房を見せた。それは顔に較べて若く見えたが,27歳とい う年齢は素直には受け取れなかった。乳房の誘惑に私の気持ちが動かないのを 見て取ると,女はあっさりと部屋から出ていった。

 女が去ってしばらくすると再びノックの音が響いた。期待を込めてドアを開 けると,そこには黒い髪とロシアンブル-の瞳をもった背の高い女がいた。胸 元が開いたブラウスからは豊かな乳房が窺えた。美人でグラマーだった。 「あなたはセックスがしたいのでしょ」といいながら女は部屋へと入ってきた。 私の目はその顔に釘づけになった。その瞳に魅せられた。  女は21歳,マリアといった。

100ドル札が私のサイフから彼女のポシェットに移ってからも夜はまだ長かっ た。マリアはほかの客を求めて私の部屋を後にした。  マリアは自分の部屋番号を告げていった。それは私の部屋のひとつ上のフロア -だった。初めに現れた女は私のフロアを,マリアは上のフロア-を仕事場に していたのだろうか。二人は友達同士で一緒に組んで仕事をしていたのだろう か。

 翌朝,私はサンクトペテルブルグに向けて旅立った。そして数日後にモスク ワに舞い戻った私は,再び同じホテルに宿泊した。マリアから聞いた部屋に電 話を入れると,それに出たのは宿泊客らしい男の声だった。  マリアはすでにホテルに居なかった。彼女は客としてホテルに宿泊してデジュ -ルナヤから外人の男客が宿泊している部屋を教えてもらって商売をしていた のだ。

マフィアらしき男たちに管理されているロビーやバーにいる女たちとは異なり, 短期間,フリーで身体を売っていたのである。  マリアに再会できなかったことに心を残しながら翌日,私はモスクワを後に した。

◆キューバ/マニャーニャ(明日)には居ない

NHK・BSの海外情報番組だったろうか。フロリダ海を臨むハバナの海岸通りマ レコンで,欧米人らしき男性がキューバの売春婦と交渉中(?)の映像を映しだ していたのは。先進国の男たちが圧倒的な経済力の差を背景に,途上国の女性を 買うという構図がここにもあった。

革命前,バチスタ政権時代のキューバは,セックスとギャンブルを求めて,海を 渡ってやってくるアメリカの男たちで賑わいマフィアの懐を潤していた。

いまの政治体制は当時とは異なる。しかし,歴史はめぐるの喩え通り,ここ数年 の観光産業の育成施策によって,セックスに限っていえばハバナは過去の勢いを 取り戻しつつある。

ハバナに売春婦は多くいる。現地の仕事で手にする1ヵ月の報酬以上の金が,一 晩で得られるとなれば,多くの女性がその道に踏み入ってもおかしくはない。 彼女たちは外人観光客を求めて,夜ごとディスコや高級ホテルのナイトクラブ, そしてマレコンなどへとやって来る。 マレコンはハバナ市民の憩いの場であると同時に,外人観光客と彼女たちの出会 いの場でもあった。

マレコンは昼と夜で異なった顔を見せた。 私が訪れた5月のキューバは,季節はすでに夏で日中の陽射しは強かった。近く の岩場では子供たちの泳ぐ姿も見られた。

そして陽が沈むと現地の人たちが三々五々,夕涼みを兼ねてこの海岸通りへとや ってきては,堤防に凭れながら思い思いの時間を過ごす。ピーナツ売りも出張し てきた。

帰国を2日後に控えた夜,私はマレコンにいた。通りを歩く私の目には地元の人 たちに混じって,それらしき女性の姿が何人か映った。ほとんどが若く10代と 思えたが,どこか荒んだなげやりな雰囲気を漂わせていた。

彼女を見つけたのは意外にも海とは反対側にある歩道だった。場所にそぐわない スリットの入った赤いロングドレスを着て,仲間と道路に向かって立ち,やって 来る車に向かって手を挙げていた。しかしほとんどの車はスピードさえ落とさな かった。

私は道路を横切ると,彼女に近付き話しかけた。といっても私はスペイン語はほ とんどできないのだが,意思は簡単に伝わった。

彼女は小柄な白人女性だった。まだ若く,黒髪に愛らしい瞳が映えていた。私を 少し先の石づくりのベンチへと誘うと並んで座った。手振りと筆談で話はすぐに まとまったが,彼女は動こうとしなかった。

堤防からも見通しで,周囲のベンチにも人がいた。私たちに注目が集まっている から,すぐに一緒に行くとワーとなる,と身振りを交えて語った。

さらに彼女は,買物があるから私に待っているようにと言い置いて,100mほど 離れた照明の明るく輝く店の方へと歩いていった。コンドームでも買いにいった のか,商売道具を切らすとは準備が悪いな,などと待っている間に考えていた。 あるいはそれも周囲の関心を薄れさせるための時間稼ぎだったのかも知れない。 しかしそれは,私の気が変わって戻ったみたらいなかったというリスクもあった のだが。

彼女は数分で帰ってきた。 私の宿泊しているホテルに彼女を連れて帰ることができないことは事前の情報 として掴んでいた。ホテルに売春婦を連れ込めるほどには,この国の官憲は売春 を認めていないということなのか,あるいは単にホテル側の理由によるのかは分 からない。

ホテルへ女性の連れ込みが可能かどうかが,その国の売春に対する姿勢を測るひ とつのモノサシとなることを,私は過去の経験から学んでいた。

彼女は海と反対の方角へと私を誘った。彼女にとってすれば通いなれた道であっ ても,私には危険が待ち受けている可能性も考えられたので,暗がりには緊張を 強いられた。

マレコンから1本奥に入った道路沿いの民家の前で彼女は立ち止まると,ドアの ベルを鳴らした。ドア越しに主らしき人物と何か話し合っていた。どうやら先客 がいるらしかった。 民家はサイドビジネスとして自分の住居を,1回30ドルほどで提供しているの だった。もちろん警察に鼻薬は聞かせてあるに違いない。

道路の反対側の暗闇には数人の男たちがいてこちらを見ていた。 20分近くは待ったろう。先客の白人男性と現地の女性が前後して出てきた。

しばらくして入室が許された。シーツは替えられいたが,さっきまで愛の営みが 行われていたダブルベッドには違和感を感じた。しかもそこは民家の主が毎晩, 休養をとる場所でもあった。外にはさっきの男たちが,部屋の窓を見つめている に違いない。私は早々と切り上げた。

支払いはここでもドルだった。アメリカと対立し経済制裁を受けながらも,国内 ではドルが大手を振ってまかり通っているという矛盾。 帰国を翌日に控えた次の夜,私は再びマレコンを歩いた。背中を叩かれたのに驚 いて振り返ると,昨夜の彼女が昨日と同じ赤いロングドレスを着て立っていた。 彼女は私の姿を見つけると今晩もと思って接触してきたのだ。

堤防にもたれながら話し合った。私はカタコトのスペイン語で,あのカサ(家) は気に入らないと言った。オテル(ホテル)ヘ行こうと誘ったが,出来ない相談 であることは分かっていた。

彼女は魅力的だったが,いかんせん昨日のプロセスを再度繰り返すには抵抗があ った。私の気持ちを正確に伝えることはできなかった。 私は最後の断りの口実に,「マニャーナ(明日)」といった。 彼女はマニャーナには飛行機で行ってしまうというように,ブーンといいながら 腕を上げた。そして,去っていった。

◆中国/「査夜」

海外旅行に出る国民の安全に役立つようにと,外務省は渡航国ごとにまとめた 「海外安全情報」を発信している。ガイドブックにはない貴重な情報も載ってい るので,目を通しておいて損はない。そのなかに〈安全と治安のアドバイス〉と 題した項目がある。中華人民共和国のその部分には,次のような一節を見ること ができる。

「・・・売春の相手方となって検挙される例が後を絶ちませんが,15日以内の 拘留及び5000元以下の罰金に処せられるばかりか,国外退去処分を受け,以後 の入国査証取得に問題が生じる場合もあります。・・・」

「売春の相手方となって検挙される例が後を絶ちません」とあるのは,脛に傷も つ身にとっては気になるところだ。中国の公安は深夜,客がホテルで売春婦と一 緒にいるところに踏み込む「査夜」という荒っぽいやり方で売春を検挙している。 この査夜の裏をかいて,夜に約束を取り付け昼に会うという対抗手段が広く採ら れている。公安サイドも「査昼」(こんな中国語があるのかは不明)という検挙 方法を近いうちに採用するかもしれない。

おかしく思われるかも知れないが,私は最近この情報を得て安心した。というの は,上記のような事態に陥ったときには,50万円ほどの罰金を課せられる,と いうように思い込んでいたからだ。罰金額が引き下げられたのか,あるいは過去 に得た情報が間違っていたのかは判然としない。読者のなかに中国通の方がおら れたらご教示いただきたい。

5000元といえば,8万円弱である(現在1元が約15円)。50万円に比べれば 随分と安い。もし,不測の事態に遭遇した場合でも,運が悪かったくらいで諦め られる金額である。

さらに,拘留期間が15日以内ということは,長くとも15日で出所できるとい うことである。旅行の延長と考えれば,中国の臭い飯を食うのも得がたい(?) 体験となるかも知れない。手記のひとつくらいはモノにできるだろう。

中国のビザが取りにくくなるのはビジネスマンにとっては痛手だろうが,観光目 的なら中国だけが外国ではないと割り切れる。

上記の外務省のアドバイスにはないが,パスポートに「淫」という大きなハンコ を捺される,ということもどこかで読んだ。

検挙された女性の方の処分だが,数年間は矯正施設に入れられる,というよう に記憶しているが,現在でもそうだろうか。

さて,中国駐在員が帰国後まとめた本のなかに,北京のある最高級ホテルのディ スコには,夜ごと売春婦が集まってくる,とあった。

そこにはホテルの具体名が書かれてなかったが,私は後ほどそのホテル名を,外 国から発信されているホームページ上で知ることになった。世界各国の売春事情 を投稿形式で載せているもので,もちろん日本のことも書いてある。

中国には長短合わせて5,6回は行っている。北京での私の体験もいずれ報告し たいと考えている。

◆ケニア/ソマリのマラヤさん

「世界の3大性都」という言葉をご存じだろうか。旅行記を読んでいて過去何 回か,この言葉に出くわしたことがある。しかしその都度,挙げられている都 市が異なるようで,きっちりと決まっているものでもないらしい。

考えてみればどの都市をそこにもってくるかは人によって,また時代によって 異なるのは当然のことである。とくにフーゾクは権力のさじ加減ひとつで,取 締りが強化されたりするから一夜で状況が変わったりする。これは何も他国の 例を見るまでもないことだ。

ある旅行記のなかでそのひとつにナイロビが挙げられているのを見て,意外に 感じたことを覚えている。残り2つはバンコクとサンパウロだったろうか。

ナイロビを首都に擁するケニアには,野生動物を見るサファリを目的に訪れる 人が多い。数年前の年越しの旅行先にケニアを選んだ私も,ご多分に漏れず動 物保護区のマサイ・マラへ,現地の旅行社が主催する1泊2日のサファリツア ーに参加し,野生のシンバ(ライオン)を求めて車を走らせた。

話が逸れたが,ナイロビを性都たらしめているのが,大通り沿いに建つビルの 2階に,教室を2~3個連ねたくらいの広さを有する「フロリダ2000」という超 有名ディスコである。そこは毎夜,観光客とスワヒリ語でマラヤさんと呼ばれ る売春婦たちで大いににぎわっていた。中に入らなくとも入口で色目を使って くるマラヤさんの出迎えを受けることもあった。

ケニアは黒人の国である。黒人を街で見掛けることは日本でも日常的となった 感があるが,街を歩いている人が見渡す限りすべて黒人という光景は,私にと って初めての体験で,気取っていえば一種のカルチャーショックを受けた。 一口に黒人といってもその風貌は地域(部族)によって千差万別である。先ご ろ引退を発表したアメリカ・プロバスケットボールのスーパースター,マイケ ル・ジョーダンのように気品さえ感じさせる黒人がいる一方で,団子鼻に厚い 唇という黒人も多い。

ケニアの女性はどちからといえば前者に属するだろう。バスコ・ダ・ガマがイ ンド航路を発見したとされる航海の出港地となった,東海岸の都市マリンディ のレストランのテラスから,通りを歩く私に流し目を送ってきたマラヤさんは, 私が出会ったケニア女性のなかで一番の美人だった。

しかし私がケニアでもっとも魅かれたのはケニア女性ではなく,部族抗争によ る内乱から逃れてきたソマリ(ソマリア人)の女性たちだった。彼女たちの多 くはマラヤさんとして働いていた。ケニア女性の顔からは角張った印象を受け ることが多かったのに対し,瓜実顔で額が広いソマリの女性からは柔らかな感 じを受けた。

フロリダ2000で私に熱心にモーションをかけてきたのもソマリの女性だった。 卑猥な話で恐縮だが,ここのほかの女性にはできないアナルセックス(肛門性 交)もOKだ,と彼女がいったことが記憶に残っている。 残念ながらナイロビで女性と二人きりになることはなかった。

夏と海は人を開放的にする。インド洋に面した港町・モンバサはその両方を兼 ね備えていた。 サファリツアーから戻った私は,高地のため夜には肌寒く感じたナイロビから, バスで1日かけて夏まっさかりのモンバサへとやってきた。 そして,この街にも「フロリダ2000」があった。

ナイロビと同じ経営者の手によるものだが,首都のそれが街の中心にあったの に対し,モンバサの「フロリダ2000」は街はずれの海沿いに建てられていた。 ライトアップされたプールや南の島をイメージしたインテリア,そしてオープ ンスペースでは海風が頬を撫でる,雰囲気のあるディスコだった。
その賑わいはナイロビには敵わなかったものの,数十人のマラヤさんがいた。 そこで親しくなったのがまたソマリの女性だったというのだから,私の趣味も 一貫していた。