地球の遊び方~海外風俗情報 タイの風俗から南米の置屋まで

読者の海外風俗体験記

第198回  バンコク ゴーゴーバー の思い出 by マタハリ

ナナプラザ

ここにはじめて来たのは95年の8月だった。それからずいぶん 変わったようだ。その当時は、確かに女の子2流どころが多かった。 しかし田舎から出てきたばかりのウブの子も多く、そこの点が気に 入って2ケ月おきくらいにここに通っていた。金曜日の夜に着いて、 月曜日の朝のフライトで仕事に戻るなんてこともやっていた。 (マレーシア在住です)

他のエリアと違い、ここはそのころからスッポンポンで踊っていた。 ビールも安かった。その当時はプレイスクールがダントツで、他は 似たり寄ったりだったような気がする。

ウドンターニーから出てきたばかりの19歳の女の子とねんごろになり、 毎日連れ出しては、朝まで過し、次の日は彼女の着替えのために アパートに寄って、そのまま出勤というパターンだった。その子とは 1年を過ぎたあたりから疎遠になった。

その後、たまたまナナにあそびに来てた大学生と深い仲になり、 しばらく行かなかったのだが、3年目にすでにいなくなっていた。 店の子の話だと、田舎へ帰ったという。ゴーゴーバーのような苛酷 な労働環境では、働きつづけられるのは、1~2年くらいがいいと ころなようだ。

しかしその後また行ってみると、また働いている。話しを聞くと 田舎は退屈でどうしようもなく、また舞い戻ってきたらしい。バン コクの派手な生活が忘れられなくなっていたのだろうか。 まだ22歳なはずだが、体の線は崩れ、肌も生気がない。客も あまりつかないのだろう。その姿を見て、「疲れているから、 連れ出し料だけ払って」と言われ、哀れに思い、払うだけで、 連れ出さなかった。

98年の夏にはいたが、今年の夏、1年ぶりに行ってみても やはりいなかった。店の子もたいてい入れ替わっていて、行方 は誰も知らなかった。プレースクール自体も、レインボーなどの 新しい店におされているのか、今回はあまり流行っていなかった。 昔はいつ行っても満員だったのだが。

レジの脇のホワイトボードには、その日出勤している女の子の 番号が書いてある。3年間いつ行ってもあったその番号がない のはさびしい気がした。

あれからナナプラザも有名になり、日本人の姿もよく見かける ようになった。華やかばかりに見えるが、その影を見たような気 がした。